昨日はすばらしいセレモニーを皆で体験したのですが
セレモニー中とセレモニー後の認識について
関連した(もしかしたらしていないかもですが・・)
興味深いお話をお伝えさせていただきますね
インドの抒情詩
バカヴァット・ギータの中で
主人公アルジュナ(クシャトリア・戦士階級)は
クリシュナを神とは知らずに
御者に据え
戦いの真っ只中にいます。
時に弱音を吐くアルジュナに
クリシュナは広大無辺で
恐ろしくもある
神としての姿を現し
戦士は戦士の道を全うしなければならないと説きます。
3次元のレベルでは
御者のクリシュナを
足で蹴ったりしているアルジュナですが
ひとたび神の本性を
クリシュナがあらわすと
その人智を超えたエネルギーのとてつもなさに
アルジュナは畏怖の念に打たれ
おののきひれ伏します。
「戦士は戦士として生きよ。そして戦士として死ね」
(なんか葉隠れの武士道そっくりみたいですが・・)
と導かれ 我に返り
また戦いに(3次元の)戻るのです。
クリシュナが神であるということもまた忘れ
御者のクリシュナを足蹴にしながら・・
(このやりとりは何回も繰り返され、
そこがとてもおかしいのすが)
自分の運命を進むのですね。
でも
与えられた叡智は
少しずつ自分のものになっていくんです。
セレモニーをやっていくって
なんかこんな感じかもしれません。
セレモニー中は超感覚の世界へ入っていって
パワーだとかインスピレーション、
叡智を受け取ります。
セレモニーが終了して長いことたつと
またバリバリの3次元人間に戻っていってしまうので
そこでまた、感謝と共に季節のセレモニー行うのです
母と一つ~
父と一つ~
我々は一つ~とうたいながら
(昨日のテーマでした)