仙骨(つまりハラ)の魂を
中真に生きることが
アセンションへの
完全なる備えであると
述べている本の中で
こんな章がありました。
「大嫌いをなくす方法とは」
大嫌いな人がいて、
その人の存在によって
自分が不自由な状態に
なっているとしたら、
その不自由な状態から
自分を解放する為に
天秤皿の片方に乗っている
「大好き」の量を減らすことだ。
そうすると、天秤はバランスを取る為に、
もう一つの皿に載っている「大嫌い」の量を
自然と減らすのである。
つまり「大好き」を「好き」にすると、
「大嫌い」が「嫌い」程度になり、
「好き」を「ちょっと好き」にすると
「嫌い」が「ちょっと嫌い」というふうに
なっていくということである。
引用:「霊止乃道」内海康満著
なるほど
これ、中心を生きる
どちらにもかたよらずに
中庸の道を生きるという極意ですね。
本来自由自在の
私たち
善悪、愛憎の袋を捨てて
ゼロ(中庸)の地点に
自己をおけば
そこが神(本来の自分)の
いるところであるということですね。